ライターだって、ちゃんと言いたい。

ライターさすがの見たモノ、聞いたモノ、感じたコトを紹介していきます。

自覚しないまま、ライターに

はじめて知り合った人に「フリーライターです」と言うと、

ほとんどの人に「すごいですね!」と言われます。

それも、マスコミではない人。

 

「すごい」の指すものが、

フリーランス」であることに対してなのか、

「ライター」であることに対してなのか、

私はいまいち、よくわかりません。

 

思い返してみると、私もまだマスコミの世界に足を踏み入れる前まで、

”そういう世界全体”がなんだか異次元=すごい、と思っていた。

手を伸ばせば、実は、とっても近い世界なのに。

 

そのときの自分を、久しぶりに振り返って、

私がはじめて、その異次元だと思っていたところに、

手を伸ばした経緯を書いてみよう、と思い立ったのです。

 

それが「ライター」と言われる職業である、ということにも、

当時は気がついていませんでした。

  

「何になればいいのか?」と空っぽになる

当時の私は、大学3年生です。

はっきり申し上げて、途方にくれていました。

 

途方にくれるまでの私の夢は「児童福祉司」。

大学も、その職業になれるところを選んで入っています。

 

今でも、思い出すのは、

「夢は変わるのが普通なんだから、

つぶしが効かない学部を、選ばない方がいいんじゃない?」

という家族からの一言。それは、まさに的中したので。

 

大学2年生までは、

児童福祉司になるんだ!」と、意気揚々と勉強しまくっていたけれど、

ある心理学の授業を受けて、こう思いました。

 

「私が児童福祉司になりたいのは、自分が誰かに必要とされたいからだ。

子どもたちのためじゃない。

児童福祉司は、大変な状況にいる子どもを支える仕事。

こんな気持ちの、私がなっちゃいけない。」

 

どんな授業を受けて、その想いに至ったのかは忘れてしまったのだけれど、

ガツーン、とそう思った感情だけは覚えています。

 

それからは、

「いったい何になればいいのだ?」という気持ちのなかで

ふわふわと生きていました。

 

 
マスコミ講座との出会い

そして、就職活動がはじまってしまうのです。

 

ちょうどそのとき、友達に誘われてマスコミ就職講座に入ることに。

入った目的は、履歴書の添削と、写真撮影がセットになっているから。

当時、マスコミにはまったく興味がありません。

とりあえずOLになろう、とだけは思っていた。

 

でも、大学の図書館に毎日通うほど、本だけは好き。

特技は何もないけど、

何が好きかと訊かれたら、読書と答えていた。

 

マスコミ講座では、毎回、

「講座の感想」というアンケート用紙が配られていました。

 

あるとき、そのアンケート用紙に、

「編集アシスタントをやってみたい人は、その旨を記入してください」

という、いつもはなかった募集が、いきなり表れました。

 

私は、その募集の文字に、なぜか目が釘付けになってしまって、

椅子の上で身動きできなくなった。

頭のなかでは「これだ!!!」と、直感。

 

それから、その講座の先生のもとで、

毎日のように、

資料を集めたり、企画の相談を電話でされたり。

 

どれだけ、先生のもとで、編集アシスタントになりたい人がいたのか、

私にはわからなかったけれど、

いつも考えていたのは、

「この先生の記憶に、誰より残るやつでいよう」ということです。

 

だから、デート中だろうが、夜中だろうが、

何かを頼まれて、「NO」と言った記憶がありません。

 

知らない人に伝われ、と思った

いつのまにか、わたしのなかで憧れだけが膨らんでいき、

あるとき、先生に「一緒に本をつくりませんか?」と持ちかけられました。

それは、こんな自分でも、

なんとか内定をもらった、大学4年生の秋のこと。

 

右も左もわからないけれど、

わたしのなかで「とにかく、やってみよう」と迷いがなかった。

それが、はじめてライターとして関わった実用書です。

 

書いている最中は、自分がライターであることもわからなかった。

正直なところ、これって編集アシスタントの延長線上なのだろう、と思っていた。

 

とにかく渡された10冊ほどの参考文献と、自分で調べてきたコピーの山、

構成案を見ながら、家で缶詰になって書きました。

 

途中で、何度も「辛いよ〜、辛いよ〜」と思ったのだけれど、

そういうときに頭のなかで唱えていたのは、

「この本を顔も知らない人が読んでくれる」という想い。

そう思うと、自然とやる気がでて、自分でも不思議だった。

 

本が発売されたとき、家の近くの本屋さんに見に行きました。

「自分の書いた文章が、本当に売っている……!!」

と、その本を近くに行って眺めたり、遠くから眺めたり。

(完全に不審者……)

 

こうして、私のお仕事としてのライターデビューは、

自覚しないうちに、いつのまにか、終わっていたのです。

 

たった一言の感想

今でも忘れられないことがあります。

 

当時はmixiというSNSが流行っていて、

そこに、その実用書専門のコミュニティがあったんです。

 

「感想をどうぞ」といったトピックスに、

顔も知らない人が「面白かった」と一言書いてくれました。

 

知り合いから、良かったね、おめでとう、と言われることも、

もちろん有難かったけど、

なぜか、知らない人の、そのたった一言を見て、

パソコンの前で号泣しました。

それは辛かった執筆期間が報われた、という涙ではなく、

 伝わったんだ、という気持ちからです。

 

そのことを忘れられないから、

今でもライターを続けているのだと思います。

 

とにかく手を伸ばしてみる

学生時代、角田光代さんの小説で『くまちゃん』という小説を読みました。

 

それは、短編小説になっていて、

前後のお話しが繋がっている、というスタイル。

 

内容は恋愛小説で、一話ごとに主人公が変わっていく。

 

主人公は「この人はすごい」と憧れた相手に振られていく。

かと思えば、その「すごい」と前話の主人公に思われた人(振った人)が、

今度は同じように「すごい」と思った相手に振られるのです。それが、延々と続く。

主人公たちは、すごい人に憧れ続ける。

 

このブログを書いていて、ふっと思い出しました。

 

もしも、ライターをやってみたいな、

という人がこのブログを読んでいたとしたら、

とにかくやってみればいい。

 

だって、その『くまちゃん』の小説のように、

自分が「すごい」と思った世界の人にも、まだ「すごい」と思う人がいて、

延々とループしていく。

そのなかに入るか、入らないかは、とっても大きいことのような気がするから。

 

私も、自分では違和感のある「すごい」という言葉を投げ掛けられながら、

「すごい」と思う人たちの背中を追いかける日々なのです。